about You 「あなたについて」一緒に考えます

成長と挑戦を可視化して、自己実現を市場化するメディアづくりに挑みます

私たちが抱くジレンマ 「効能」と「限界」

私たちが、サービスを受けるとき、そのサービスがもたらす効果を分かっています。

お店に行けば、商品があることを分かっています。

アイドルに会いに行けば、そこに笑顔があることを分かっています。

システムを使えば、効率化が出来ることを分かっています。

マッサージを受ければ、スッキリすることが分かっています。

 

仮に、その期待から外れたとしても、期待外れ感は一瞬のことであり、

代わりのものを探し、手に入れることが出来ます

 

しかし、あなたがサービスを提供する側に立ってみると

自分のお店は、品ぞろえが足りなくて、無い商品がある。

自分は笑顔をふるまえるけど、アイドルだから自分が本当に言いたいことは言えない。

自分の作ったシステムは、予算の関係上出来なかったこともある。

自分の手のひらはカラダのコリはほぐせるけど、ココロのコリまではほぐせない。

と、自分が出来ることと出来ないことに悩むことがしばしばあります。

 

ココだけ見てみると、単なる「不足」「不備」「不充分」といったレベルですが

これが、「仕組み」そのものの中に根付いたものであるほど、

その中に所属している従事者には出来ることがありません。

構造的なものであればあるほど、選択肢にさえないというシーンもあります。

そして、それは人が抱く挑戦や成長したい気持ちに反対にはたらき、

従事者のモチベーションやエンゲージメントを強力に削ぐこととなります。

 

このことを、「効能と限界」というワードを使い、ガイドしていきます。

 

パターンA 組織でのやり方が変わらないシーン

日本において、従事者の6%しか今の仕事に満足していなく、

残りの94%がエンゲージしていないというデータについて先ほどガイドをしました。

米ギャラップの会長は、マネジメントが上手く機能していないことに依ると指摘し、

マネジメントは改善も出来るという道筋も同時に提供しました。

 

しかし、「不足」「不備」「不充分」レベルであれば機能の改善で済みますが、

やり方が変わらないパターンもあります。例えば以下のようなシーンです。

 

「このやり方でこれまで上手く行っているのだから、

このやり方を変えることも出来ないし、必要性を感じない。」

と変化をおそれる頭の固いマネージャー氏が、

問題に直面している現場職員に言うときです。

 

 

ここでは、問題に直面している現場職員は、

単なる「不足」「不備」「不充分」を補うに留まらない危機感を抱いています。

「そのやり方は、今は機能しているかもしれないが…

より大きな機会を逃しているのではないか。

このままでは新しい状況に対処・適応することができなくなるかもしれない。」

 

マネージャー氏が「今のやり方を信じている」ということがポイントです。

それは自らが一から考え編み出したやり方ではなく、

誰かに教わったものであり、他の人も同じようにしていることであり、

その組織内における単なる「お作法」にしかすぎないものですが、

現場職員は、そのやり方ではケアできない領域があったとしても

今のやり方をするしかないので手を出すことは出来ません。

 

そして、「私の言う通りにしなさい」「なんで、あなたはその通りに出来ないの」

このように言うマネージャー氏は、多くの場面で見かけます。

 

そして、場面は違いますが、違うパターンを次に挙げます。

 

パターンB お互いに満足しているシーン

私は30代前半の時期に、カウンセリングを勉学していたことがありました。

当時は、共に勉学していた複数人もいたことから

丁度良い規模感覚でアットホームな雰囲気のもと学んでおりました。

カウンセリングスキルはセンスがあったかというと、あったかもしれないし

なかったかもしれないとも言えます。

当時かき集めた教本は今でも本棚の中にあります。

 

心理援助職の必要性と重要性は高く、専門家が求められる場面は

重大な災害、事件があった際のケアには欠かせなく、

組織マネジメントにおいても従事者のケアへの要請もあることから

依然として大きな市場ではないものの、

貢献意欲のある方には人気の学びであると思います。

 

勉学をもっと進めたかった想いはありますが、

今はカウンセリングそのものを学ぶことをやめております。

当時の状況や理由がありますが、本当に辞めた理由をこれからガイドします。

カウンセラーやコーチなどの心理援助職に居る方が発行しているブログでは

自分が発見した気づきを発信しているものをよく見かけます。

 

色々な表現がありますが、たとえばこのような感じでしょうか。

「今まで目をそらしていたけど、やっと見つかった」

「そこにある闇に、光は差し込む」

「あなたが変われば、周りも変わる」

「思わず涙が止まらなかった」

 

このこと自体は、彼や彼女が感じたココロの動きであり、

それを言語化して表現することについて、是非を問うものではありません。

むしろ、受け手が、話の聞き手や救いを求める時に、ドアが開いていて

その中に居る人がどんな人かを伝えることに何も遮るものは無いはずです。

 

そして、人を癒すことに一生懸命なカウンセラー・コーチは

「私はあなたの話を一生懸命に聴きます。あなたを癒したい」と思っています。

悩みの中に居るクライエントは、こうフィードバックします。

「あなたが私の話を聴いてくれたおかげで、私は癒されました」と。

 

援助者が抱える限界

カウンセリングそのものは、時の流れを要することから、

1回以上を要するかもしれませんが、この関係性は、一見何の問題もありません。

問題が無い理由は、提供する側も自分のやり方を信じ、

提供される側も、出会いからはじまるはたらきかけによって

それまで抱いていた心理的問題が解決したと思っていることからです。

 

しかし、私は「犠牲者が量産されている」情勢下にあって、

社会の中にある犠牲者を産みだしている仕組みそのものには、

心理援助職は手を出しようがないことを知っています。

 

心理援助職は、先ほど書いたような

「今まで目をそらしていたけど、やっと見つかった」

「そこにある闇に、光は差し込む」

「あなたが変われば、周りも変わる」

「思わず涙が止まらなかった」

といった感情等の内面に対するフォーカススキルを磨きますが、

クライエントが直面し、犠牲となっている様々な領域に横たわる

「変わらないやり方」を変革することには一切手を出せないからです。

 

カウンセリングは、社会を変えることは出来ない。

カウンセラーは、社会を変える教育を通過しない。

この2つが、私が心理学を学ぶことを辞めている理由です。

 

あらゆる領域に横たわる効能と限界

about Youでは、主宰の私が過去学んだカウンセリングを例に書きましたが、

あなたが所属している業界や社会においても、

いたるところに「効能」と「限界」があることを念頭に置きます。

 

効能とは、与える側が受け手側に提供する「作用」または「影響」のこと。

限界とは、効能を信じている限り、「永遠に着手・解決できない領域」のこと。

 

一般に、効能というときは「薬の効能」というように、

物の効き目のこと、それも良い方面での効き目を指します。

限界という言葉も、物事が及ぶ一番端のことを指したり、

スポーツなどでは、個人の潜在的能力を引き出すように

持っている能力を「最大限」発揮することに使います。

 

一般とは違う使い方をしていますが、あなたが従事しているサービスや

関わっている仕組みが抱く「効能」が強く、

「限界」が動かせないものであればあるほど

業界や社会に横たわる「変わらない仕組み」同士が

その中に居る挑戦や成長したい気持ちを抱く個人に反対にはたらき、

彼のモチベーションやエンゲージメントを強力に削ぎます。

すなはち「犠牲者の誕生」であり、「犠牲者の量産」です。

その犠牲は仕組みの下に居る従事者だけではなく、

挑戦や成長が阻まれる貧困や格差の固定化にある社会に及び、根付いています。

 

一度、表にして並べてみます。

領域

パターンA

パターンB

組織でのやり方が変わらないシーン

お互いに満足しているシーン

効能

・通用した時期があった。

・一応、マネジメント出来ている。

・受け手側には「効能」が効いている。

・与える側はそのやり方を信じて、疑っていない。

限界

・ケア出来ていない領域に永久に着手出来ない。

・「変わらない仕組み」の中で、受け手側をはじめとした犠牲者が増え続ける。

・与える側は限界領域に目が向かない。故に、効能が利く受け手を探すのみで、限界領域に居る層に働きかけない。

・与える側が効能領域の裏にある限界領域にスキル的に対応できない。

 

以下、効能と限界について、いくつか補足説明を書き足します。

・「効能」を、与える側が受け手側に提供する「作用」または「影響」を指すこと

と書きましたが、与える側にとっては、彼の能力の範囲内で起こるコトであり、

受け手側にとっては、それで十分だと思い込んでいるコトです。

与える側と受け手側は、サービスの提供者と受益者以外にも、

仕組みの運営者と仕組みの中に属している従事者という関係もあります。

・「限界」を、効能を信じている限り、「永遠に着手・解決できない領域」

と書きましたが、社会課題等においては、与える側の能力の範囲内にしか、

効能が及ばない状態または情勢のことをも「限界」と指すこともあります。

書き分けるとしたら「限界があることによって生じている状態情勢」かもしれませんが、

段々何を言っているか分からなくなることから、文脈によって

「領域」か「状態または情勢」を読み分けていただくしかないと思っています。

 

私たちが逃れられない「変わらない」という「仕組み」

この効能と限界について書き込むことで、前章で紹介した経済産業省発行の

「不安な個人 立ちすくむ国家」内にある「モデル無き社会」を構成する

「変わらない仕組み」とは何かを言い換えることが出来ます。

「変わらない仕組み」とは、各者が夫々携わっているモノゴトについて

その効能の範囲外のコトやシステムによって生じている犠牲者をケア出来ない

というジレンマを常に抱えている状態のことであると。

仕組みが変わらないということではなく、

ジレンマを常に抱えていること自体が仕組みなのです。

 

「変わらないこと」そのものが、仕組みであるとも言えます。

 

あなたには、ショックかもしれません。

書いている私もショックなくらいです。

「変わらないこと自体」が仕組みであることによって

たとえばこのようなジレンマを私たちは抱えています。

 

1.多くの人が、「それ以上」になれないか、「それ以外」ができない。

 これは、自分が自らの殻を破れず、壁を破れないということではなく、

 社会や業界に横たわる仕組みが抱える限界によって、

挑戦や行動に制約を受けていることを指しています。

 

2.受け手側は、与える側の「効能」の範囲でしか、利用・参加できない。

 サービスを受ける側が、与える側の市場を拡げる可能性が潜むニーズを抱いていても

 提供する側が、そのニーズを翻訳し、編集を試みない限り、

 受け手側は、サービスの提供者側の都合に合わせて利用や参加をするしかなく、

 本来のニーズの解決が出来ないコトを指しています。

 

3.与える側は、「限界」を解消・克服する代替案を提示する能力がない/代案を持たない。

 「限界」とは、効能を信じている限り「永遠に着手・解決できない」ことから、

 従事している側に居る限り、効能を信じて仕組みや業務を運営するので、

 限界を解消しようと試みたり、克服する代替案を持ちようがありません。

 限界を打破する代替案を提示・展開出来る能力は、

 業務遂行能力とは違う領域にあり、組織内において育成されることもないことから、

 与える側の従事者が、代替案を提示し展開することは、ほぼ不可能です。

 

箇条書きで書いたことを、お伝えしようと思うと少し難しく、

それも分かりやすく書ききれないことに力量不足を感じるところですが、

パーソナルとビジネスとソサイエティの3つの領域に関連していることから、

個別にケースをお伝えする機会があれば、席を設けてみたいとも思っています。

パターンAとしての「組織でのやり方が変わらないシーン」と

パターンBとしての「お互いに満足しているシーン」に居る方が

「効能があるから、ソレで良いのだ」と留まっている限り、

効能の範囲外で起きていることの着手は不可能ではないかと考えます。

 

「変わらない」という仕組みに抗うには

すなはち、格差と貧困が固定化するモデル無き社会において、

手にかけられていない多くの社会課題がそのまま犠牲者を産み続け、

顧客の自己実現に資するサービスが開発されないまま、

未来の顧客・未来の市場が見出さないのです。

少なくても今後も便利になることは便利になりますが、

私たちを取り巻く閉塞感が解消されることはありません。

 

未来が暗いことばかり言っているようですが、

私は主な対応は2つの方向にあることも掲げます。

 

一つの方向は、効能の範囲を限界領域に届くように拡げることです。

ただし、機能の改善に留まらないことから非常に難しいもしれません。

限界領域にあるニーズが「市場」だという証明が求められることからも、

如何に自分のビジネスがケア出来ていない領域を見つめ、

リソースを組み立てなおす構想力を必要とします。

 

もう一つの方向は、今のままでは永遠に着手・解決できない領域を

ケアできる仕組みを外側から編み出すことです。

ソーシャルビジネスの立ち上げをイメージするかもしれません。

マーケットを絞ることをセオリーとするソーシャルビジネスは、

一人ひとりと向き合うことの喜びと達成感はありますが、

犠牲者が量産されている構造にまで手を掛けるやり方ではありません。

このやり方を取る構想者・創造者・プロデューサーが必要となります。

about Youは、こちらに居る者としてあなたに語りかけています。