about You 「あなたについて」一緒に考えます

成長と挑戦を可視化して、自己実現を市場化するメディアづくりに挑みます

150年=75年+75年

「あなたを社会に届ける」メディアとして企画主宰しているabout Youから、
今度展開を予定している「学びと出会いの体系」Lessonsについて、
著作をしたためています。目次だけでも50項目ほどあり、
いつ書き終わるかは見えませんが、部品だけは書けるので、
書いたものから若干編集をしてブログにしています。

今は、多くの方の健康被害に直面していることから、
大局観のあるお話をあまりお見掛けしませんが、
今直面している局面をどう捉えるのかという一考にお使いください。

後半に登場する「評価システム」は、一部分を切り取っているため
文脈がつながらないかもしれませんが、「私たちが過去と実績によって
力量を量られることで、未経験領域への挑戦が阻まれていること」と
読み替えていただければと思います。

文明の変遷から、今を見つめる

2019年3月中に、Facebook経由で、ある勉強会に赴きました。

告知には「構想」という文字があったことから、

すこし知恵を得るために赴いてみました。

 

東京大学名誉教授伊東俊太郎氏が講演されていたテーマは「文明の変遷」(注1)

歴史的な話が大筋であったことから、知恵を得る目的から、

歴史を味わうというスタンスに切り替えて話を聞いておりました。

 

約20万年の人類の起源から今日の人間社会の形成までを対象とした

文明の変遷をかいつまんでガイドされておりました。

人類文化の歩みには5段階あり、各段階を経て発展してきたとしています。

 

第1段階「人類革命」(祖先からホモサピエンスへの淘汰)

第2段階「農業革命」(約1万年以上前の栽培と飼育への転換による定住化)

第3段階「都市革命」(定住化の発展による都市の生成)

第4段階「精神革命」(人間関係の集中化複雑化に伴う「哲学」「倫理学」の創生)

第5段階「産業革命」(17世紀ヨーロッパに始まる世界の近代化)

 

伊東先生は、現在突入している第6段階を「環境革命」として捉え、

シゲン(資源)として消費されているシゼン(自然)への回帰に焦点を当てられていました。

先生の洞察は、人工知能が人間に代替しうるかの問いについても、

代替することは出来ないと知見まで展開がされました。

 

私は、人類発祥から現代に至るまでの「洞察」を一通り聞き、

単に聞くだけに留めていようと思っていたのを切替え、質疑応答に手を上げました。

 

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先生、私は初めてこの勉強会に参加した者です。

告知を読み違えて別のテーマを持ったままお話をお伺いしましたが、

ひとつ先生の洞察をお伺いしたく存じます。

 

世は5月の改元に、「平成」の次は何であろうと沸いています。

私は、イマを「平成」と思っていません。

これは、誰にも言ったことはありません。誰も言い出していないからです。

 

前の時代は「大日本帝国憲法時代」と思っています。

今は「日本国憲法時代」だと思っています。

理由は、時代は江戸時代に至るまで、

「何によって統治されているか」で区切れらており

その統治は、敗戦を機に大きく変わった事実があるからです。

 

大日本帝国憲法時代」には、富国強兵・殖産興業をはじめ

列強に肩を並べようと大東亜共栄圏構想を抱き、

八紘一宇の思想でまとまろうとしていました。

それが正しかったかはともかく、少なくても「目指すもの」はありました。

 

では、「日本国憲法時代」において、「目指すもの」はあるかと見ると

高度成長、所得倍増と共有したものが過去一時期はあったかもしれません。

しかし、「今」はどうかというと、

私たちが何を目指せばよいか一向に分からないのではないでしょうか。

私が知らないだけだったら、教えて欲しいという気持ちです。

 

次の時代は「新憲法時代」となると思っているが、

統治のあり方が変わるのかというと、それは遠い先の話だろうと思っています。

 

先生が見通す時代と、何を目指せばよいかのアイデアがあれば

欠片だけでも共有できると嬉しいです。(質問 了)

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当時米寿であった伊東先生は、講義以降は座ってお話をされていましたが、

「良い質問だ」と立ち上がり、私の質問に回答していただきました。

 

1年以上経過していることから、一言一句を覚えてはいませんが、

ホワイトボードに線を引きながら、

大政奉還は何時だったか。1867年か。それで、1945年があるね。

そして、そろそろ2020年か。敗戦までは・・・33足す45で78年。

そして、戦後は75年経ちそうだね。同じくらいだ。

【何か】が起こっても良いだろうと思う。」

 

細かい表現として記憶はしていませんが、こうもお話されました。

「それぞれに委ねられているものが、もっと前に押し進められてよい。」

 

「今のような政治的な見方を持つことは非常に重要だ。非常にいい質問だった」

とフィードバックいただきました。

 

私は、質疑応答の後、当時皇太子であった天皇陛下にも教鞭をとられていた権威から

「オリジナルとして抱くアイデア・洞察に正しさがあることにお墨付きをいただいた」

と確信して、帰途につきました。

 

注1)出典:演者書籍『比較文明』(1985年)で述べたマクロレンジの『5段階革命論』を基にガイド

 

強固な「評価システム」

何故、「評価し合うやり方」が継続しているかを書くにあたって、

文明学の大家である伊東俊太郎先生との偶然のやりとりを紹介しました。

 

何時から始まったか明確ではないですが、

組織と個人との力関係の変化は影響していると思われます。

過去は、個人の生活にかかる組織の力学が強かったことから

組織内の評価を上げることが命題でした。

 

低成長時代においてサービスやアイテムのライフサイクルが短くなるにつれて

評価のサイクルも短くなったことから、評価の仕方も近視眼的に移行しています。

 

教育課程においては、教師は教えますが、教えるのは「教科」であることから

社会や業界に横たわる「変革すべきテーマ」に直面した際に、

彼がどう挑むのかについて教えるという教師は教育課程には居ません。

これは教師一人ひとりの資質や能力が無いということではなく、

彼らに課された役割が違うだけです。

くわえて、教育課程では教師に評価が委ねられていることから

生徒は教師から評価されるという関係の下、規律や導きに従うことが求められます。

そして、生徒は純粋に懸命に評価を上げようと、教育課程に取り組みます。

 

教師も生徒も、業界や社会に横たわる「変革すべきテーマ」にどう挑むかについて

教えも教わりもせず、生徒は業界や社会に出るわけですが、

業界においては、組織マネジメントの生産性が壊滅的であり、

社会においては、格差や貧困の固定化による液状化に陥っていることから

自分に潜む価値を解放できない犠牲者が量産されていると分析しています。

 

これは、「自己実現」という着眼を通して見つめた見立てであり

夫々に委ねられているものを推し進めることが求められていることに変わりはありません。

ただ、about Youでは、テクノロジーによってさらに進んでしまった

「お互いに評価し合うやり方」にメスを入れない限り、「日本国憲法時代」の下、

一人ひとりの手と力は何時までも「社会」まで届かないと考えます。

 

ここまでは、私以上に洞察されている専門家が居ます。

ただ、専門家は分析についての専門的知見は持っていますが、

「お互いに評価し合うやり方」以上の創造的提案と試行錯誤がありません。

彼らもまた、日本国憲法時代下の「評価システム」を補完する一部に留まっているのです。